第10回公演について |
あらすじ |
「軽便こ」と呼ばれて親しまれた仙北鉄道が廃線になってから40年の月日が流れた現代。小学生のススムと鉄道オタクのシゲユキたちは、当時の駅舎の名残を残す旧登米駅であったミヤコーバス登米営業所を訪れた。間もなく取り壊される旧駅舎を惜しむように「軽便こ」の歴史を振り返っていると、駅舎を棲家にしている三匹の猫たちに出会う。その猫たちの不思議な導きによって、ススムたちはいつの間にか廃線間近の昭和42年の仙北鉄道登米駅ホームにタイムスリップしていた。 一方、ススムたちが登米駅に立った頃、瀬峰駅に一人の男が現れる。画家を目指し東京で暮らしていた大吉が懐かしい故郷に帰ってきた。思い出が詰まった「軽便こ」に乗り込む大吉だったが、かつて鉄道通学で慣れ親しんだ「軽便こ」が、高度経済成長の波と自動車の波に押し流されて「廃線」となる事実を知り、ショックを受ける。 廃線間近の鉄道を舞台に、上りと下りから二つの列車が走り出す。重なり合う運命のその先で、何が見つかるのか。「軽便こ」が繋いだレールはどんな未来をつむぎだすのか。 |
仙北鉄道廃線までの推移 |
明治43年に軽便鉄道法と同補助法が公布された。 当時、大事業家として活躍していた新井泰治氏(初代社長)や登米郡長だった半田卯内氏が地元の人々の熱望に応えようと、郡内各町の有志を招集して軽便鉄道敷設期成同盟会を結成し、資金調達に奔走し、資本金100万円を調達した。 苦難の末、大正10年10月10日に登米線全線が開通した。本社は登米町に置かれた。同町での祝賀祭は鉄道大臣の元田肇氏をはじめ町村有志330余人が招待され、盛大に開かれた。10日から3日間、昼夜に亘っての祝賀の催しが繰り広げられ、数百発の花火が打ち上げられた。地方ではまれにみる賑わいだったという。仙北鉄道の開業により、従来の交通手段は次第に河川から陸上に変わった。 しかし、昭和19年には仙北鉄道と三陸自動車道とが合併するなど、仙北鉄道の営業に変化の兆しが見え始めた。戦後は高度経済成長の波に乗り、新規のバス路線が次々に開設・増強された。その結果、仙北鉄道の乗客は次第に路線バスへと移っていった。 その後も道路が次々に整備され、荷物輸送もまた鉄道からトラックに主役の座を譲った。鉄道利用者や荷物輸送の激減に歯止めがかからず、地域住民の足として活躍してきた仙北鉄道登米線は廃線の道を辿り、昭和43年3月24日にその役目を終えた。 |
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