夢フェスタ水の里ホームページ

 第16回公演について

↑クリックすると、チラシの裏面がご覧いただけます。

第16回登米市民劇場「夢フェスタ水の里」

幸呼里に蝉しぐれは止まず
    〜東和米川 隠れキリシタン・製鉄物語〜



○原作/小野寺和彦「せみしぐれの丘」
○脚本・演出/大友久仁恵

主催/登米市 登米市教育委員会 (公財)登米文化振興財団
主管/夢フェスタ水の里実行委員会
企画/夢フェスタ水の里制作委員会

■公演日程・動員数
平成26年
3月1日(土)
午後6時30分開演 入場者633人
3月2日(日)
午後2時開演 入場者852人

■会場
登米祝祭劇場 大ホール


イラスト/佐藤正人
背景写真/小林武敏
題字/千葉捷郎
 あらすじ
 1720年ごろの江戸中期。登米市東和町米川に隠れキリシタンの里があった。里人は親しみを込め、この地を幸せを呼ぶ里=幸呼里(こうこり)と呼んでいた。
 どう屋=製鉄作業場=の元締めだった千葉土佐が鉄の生産を始めてから約160年。元の元締め・総兵衛率いるタタラ場では、備中から呼び寄せた吉太郎が最新の炉を使って鉄の生産量を増やしていた。里人はその陰でキリシタンであることをひた隠し、心の中で信仰を続けていた。
 ある夏の初め、けがをした侍が里に迷い込んだ。元締めの孫娘すずが、彼をどう屋に連れて行く。侍は北にある胆沢郡出身で、キリシタン摘発の代官に追われている身だった。長く平和が続いてきた幸呼里に、キリシタン弾圧の波が押し寄せてきた…。

 キリシタン歴史年表

年 号

西 暦

記    事

天文18

1549

スペインのフランシスコ・ザビエルによりキリスト教が伝わる

 永禄 元  1558 千葉土佐が備中岡山から千松大八郎、小八郎を招き、製鉄の指導に当たらせる

天正15

1587

豊臣秀吉が武士階級のキリシタン入信制限令とバテレン追放令を発布

慶長 3

1598

狼河原村のどう屋3ヵ所から大坂城に軍用鉄として2,400貫(9,000s)を送る

慶長 8

1603

徳川家康が征夷大将軍となる(江戸幕府の成立)

慶長16

1611

伊達政宗がルイス・ソテロ神父を仙台に招き、キリスト教を布教

慶長17

1612

幕府が諸藩にキリスト教禁止令を出す

慶長18

1613

伊達政宗が支倉常長を慶長遣欧使節としてローマへ派遣

元和 元

1615

フランシスコ・バラヤス神父(日本名・孫右衛門)が仙台で布教

元和 6

1620

仙台で第1回キリシタン弾圧 支倉常長がローマから石巻月の浦に帰る

元和 7

1621

バラヤス神父が狼河原、大籠(岩手県一関市)、馬籠(気仙沼市)に来て、信者の家に潜伏しながら捕まるまで19年間布教

元和 9

1623

仙台で第2回キリシタン弾圧

寛永 3

1626

長崎で「絵踏み」始まる 後藤寿庵が狼河原村に潜入したという

寛永14

1637

島原(長崎県)・天草(熊本県)の農民が一揆を起こす(島原の乱) 絵踏みを強化

寛永16

1639

大籠でキリシタン処刑 バラヤス神父が仙台で捕まり、江戸で処刑される

寛永17 1640 大籠で再びキリシタン集団処刑 総勢約300

寛文11

1671

幕府に倣い、「宗門改帳」を全国の各藩で作成し、キリシタンを厳しく取り締まる

享保年間

1716
〜35

狼河原、綱木の沢で120名が処刑され、老ノ沢、朴ノ沢、海無沢の3ヵ所に40名ずつ埋められる(三経塚)

明治 6

1873

維新政府がキリシタン禁制高札の法令告知方式を廃止(信仰の自由)


公益財団法人 登米文化振興財団

〒987-0511 宮城県登米市迫町佐沼光ヶ丘30
TEL:0220-22-0111 / FAX:0220-22-0115

■ホームページ内のイラスト・画像をはじめとする、すべての内容の複製を禁じます。