年 号
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西 暦
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記 事
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文政 8
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1825
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桜場村籠壇(現在の宮城県登米市中田町上沼)に生まれる
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天保13 |
1842 |
石越村の千葉明渓(華岡青洲に学んだ医師)に入門 |
弘化 元
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1844
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江戸で蘭方医の伊東玄朴(「象先堂」を主宰。近代医学の祖)に入門
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嘉永 2
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1849
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肺を患い帰郷
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嘉永 3
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1850
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諸国遊学の旅に出る(箱館→松前→青森→秋田→山形→富山)
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嘉永 5
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1852
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金沢に滞在し、黒川良安(シーボルトに学んだ、金沢大学医学部設立の最功労者)の下で蘭書翻訳などに従事
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嘉永 6
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1853
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京都→大坂→香川→愛媛・宇和島を旅する。宇和島で後に妻となる千里と出会う
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安政 2
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1855
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長崎で開業。若き日の福沢諭吉(後に蘭学塾「慶応義塾」を開く)が桜所の門をたたく |
安政 4
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1857
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大坂に緒方洪庵(大阪大学医学部の前身「適々斎塾」を主宰)を訪ね、その業を助ける
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安政 5
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1858
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伊東玄朴らと図り、お玉ヶ池種痘所(後の東京大学医学部)を設立。米国総領事ハリスを治療する
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安政 6 |
1859 |
全国的にコレラが大流行。独自の療法で治療に当たり、名を成す |
文久 2
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1862
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幕府から奥医師に任命。後に法眼に叙せられる
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文久 3
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1863
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徳川幕府14代将軍徳川家茂とともに上洛。後に江戸に戻る
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元治 元
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1864
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一橋慶喜の治療のために上洛。その後、江戸に帰る
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慶応 2
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1866
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医師の最高位である法印となる
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慶応 3 |
1867 |
大政奉還 |
慶応 4 |
1868 |
水戸に幽閉された徳川慶喜に付き随う |
明治 元
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1868
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慶喜と水戸で別れ、桜場村に帰る。その後松島に移る
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明治 2
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1869 |
仙台藩の役人に捕縛され、9カ月間投獄される
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明治 3
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1870
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出獄、任官のため上京 |
明治 4 |
1871 |
松本良順(後の陸軍初代軍医総監)とともに明治政府に任官 |
明治 7 |
1874 |
駿河台に洋館を新築。軍医監に昇進。翌年には従五位に昇叙 |
明治15 |
1882 |
入寂、谷中霊園に眠る |