登米市の南端にある豊里町は江戸初期、滅亡した武田家や豊臣家の家臣らが住み着き、登米伊達家の手で開墾が進められた。だが、北上川を西方に曲げて迫川と合流させたため、洪水が再三起こるようになった。川の流れを穏やかにし、石巻に米を集積するのが目的だった。 明治期を迎えても過酷な暮らしは改まらず、人々は壁土で作った竈神を自宅の台所に掲げ、日々の安寧を祈り続けた。 そうした中、人々が困り果てると、地域にゆかりのある高貴な人物が現れ、豊かな里づくりの知恵を示唆する現象がしばしば起きた。人々はその暗示をヒントに、防災対策や産業、文化イベントの構築に取り組み、豊里独自の風土をつくり上げてきた……。
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