第20回公演について |
あらすじ |
登米市南方町は江戸期には南方村と呼ばれ、仙台藩伊達家御一家の一つ、佐沼亘理家の領地の一部だった。だが、村内には低湿地が広がり、雨が降る度に田んぼが水浸しになった。そこに押し寄せた明治維新の荒波。村人たちは社会構造の激変と不作との「二重苦」に敢然と立ち向かわざるを得なかった。その先頭に立ったのが、初代村長を務めた好漢、嶽内恭諄(たけうち・きょうじゅん=1847-1924)だった。 |
公益財団法人 登米文化振興財団〒987-0511 宮城県登米市迫町佐沼光ヶ丘30 |
||
■ホームページ内のイラスト・画像をはじめとする、すべての内容の複製を禁じます。 |