和暦 |
西暦 |
できごと |
元禄2年 |
1689 |
旧暦5月11日 松尾芭蕉が弟子の河合曾良とともに石巻から矢内津(柳津)を通って戸伊麻(登米)に一宿する |
享保14年 |
1729 |
7月 四良次は徒党を組んだ首謀者として柳津村において獄門に処せられたとされる 数え18歳の若さだったという |
元治元年 |
1864 |
締切沼周辺に奇病・黄牛病が流行し始める |
慶応2年 |
1866 |
黄牛村の邑主・高屋養仙が仙台藩医学館講師典籍学頭を経て範囲頭となる |
明治6年 |
1873 |
5月 高屋養仙、仙台南町の邸を引き上げ、黄牛村に居を移す |
明治8年 |
1875 |
10月 柳津村と黄牛村が合併して麻崎村に、横山北沢村と横山南沢村が合併して横山村となる |
明治19年 |
1886 |
9月 黄牛病に侵された鈴木安右衛門が死去 54歳 遺言により旧柳津村の福田寺で解剖 執刀者は宮城医学校付属医院の柴田勝央院長 黄牛病の原因が肝臓ジストマと判明 日本肝吸虫症での解剖例としては9番目 |
明治27年 |
1893 |
5月 伊達小次郎・小原縫殿之助の墓碑を横山右念山に建立する |
明治39年 |
1906 |
11月 麻崎村に町制を施行し、柳津町とする |
明治44年 |
1911 |
4月 北上川分流計画が帝国議会で全国の河川改修第1期工事に組み入れられる |
明治45年 |
1912 |
1月 町市街地移転に関する実行委員会を設ける |
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7月1日 移転先を小川原囲(現市街地)などに決める |
大正2年 |
1913 |
2月10日〜7月28日、移転料及びに買収費が交付される |
大正9年 |
1920 |
9月 柳津小学校校舎を現在地に移動 |
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9月20日 柳津町・亀井陽儀が不帰の客となる |
大正10年 |
1921 |
10月 柳津町役場を現在地に移転 この年に17戸が移転 |
大正11年 |
1922 |
この年までに残る322戸の移転が完了 |
大正14年 |
1925 |
新川の開削工事が終わる 跡地整理の工事はなお続く |
昭和6年 |
1931 |
3月12日 新北上川が通水 |
昭和14年 |
1939 |
8月 新北上川沿いの右岸側道そばでイナイリュウの化石が発見される |
昭和17年 |
1942 |
締切沼を所有者の桃生郡北方水利組合から買収 |
昭和29年 |
1954 |
11月 柳津町と横山村が合併して津山町となる |