第8回公演について |
あらすじ |
米岡の常楽寺には、高さ一尺ほどの「しろかき地蔵」がまつられている。地蔵が子どもに姿を変え、農作業の手伝いをしたとの逸話があり、厚い信仰を集めていた。 一方、寺には江戸時代、カンリキ(貫力)という和尚がいた。カンリキは将来を嘱望された相撲取りだった。暗い過去を持つ彼を寺に導いたのは「しろかき地蔵」だった。だが、カンリキが夢を捨てて和尚になったわけを周囲は知らなかった…。 時は現代…米岡地区の人々が、この二つの逸話をモチーフにして、地域おこしの創作劇に挑もうとしていた。 |
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しろかき地蔵の由来 |
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登米市米山町米岡の常楽寺に「しろかき地蔵」と呼ばれる身丈三十センチほどの木彫り座像がまつられている。この地蔵にはこんな逸話がある… 昔、米岡卯ノ木に佐々木某という七十歳すぎの人がいた。ある年の春、働き盛りの家族が病に倒れたため、爺さんは一人で農作業をしなければならなくなった。作業に疲れた爺さんは馬の手綱をひきながら、近くの地蔵堂にまつられている地蔵様に「人に拝まれてばかりいないで、手伝ってくんなえや」と冗談まじりに話しかけた。 爺さんがしろかきを始めると、十歳ほどの男児がどこからともなく現れて「オラが馬の鼻取りをしてやんべに」と言い、鼻取り竿を取って田に入っていった。あっけにとられながらも、爺さんは一緒にしろをかき出した。思わぬ手助けに作業ははかどり、しろかきは日の高いうちに終わってしまった。爺さんは手伝ってくれたお礼に何か食べさせてやろうと思い、家に帰って食べ物を持って田に戻ると、男児の姿はそこになかった。 不審に思った爺さんが辺りを見回してみると、小さな足あとが田から地蔵堂へ続いており、堂内には泥だらけの地蔵が背を向けていた。それを見た爺さんは「身勝手な冗談を聞き、子供に身を変えてお助け下さったのか」と、手を合わせて泣いた。 爺さんはその地蔵を家にまつり、その恩徳に長く感謝したという… |
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